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【雑記】豊田泰光氏コラム「野球の味わい方、寂しき日米差」

豊田泰光のコラム。
至極尤もだと思う。
スポーツ中継に限らず、日本のTV報道はかなり稚拙になったと感じる。
でもそれは、視聴者が稚拙になったことと裏返し。
個々人の地道な知的レベルの向上が、衆愚からの脱却につながるのだと思う。
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日経新聞コラム「チェンジアップ」(豊田泰光、2012/01/26)
野球の味わい方、寂しき日米差
 遊びでアメリカに行ったときに、やはり野球がみたい、となって球場を訪れると、ラジオの中継ブースに席をとってくれた。実況を聴きながら思ったのは案外しゃべらないんだな、ということ。
 アナウンサーは「第1球ストライク」とか「レフトへシングル(単打)」とか、起こった事を淡々と伝えるだけ。その淡泊さが格調高く、終盤のクライマックスへの期待を静かにかきたてていた。
 多くを語らずとも、何万のファンの期待や興奮が混じるざわめきが極上のノイズとなって、ラジオから流れているはずだった。アナウンサーはそれを熟知し、空白の時間を作っていたのだろう。
 よく日本は「間(ま)の文化である」といわれる。しかし、野球に関してはアメリカの方がよほど間を理解しているのではないか。
 日本の中継は「しゃべってなんぼ」の感じだし、そもそも球場に静寂の瞬間がない。鳴り物応援がなかったころはまだ、投手がふりかぶったときに、みんなが黙って胸をときめかせていた。
 スタンドとグラウンドの息が合っていた、とでもいおうか。その文化は日本では廃れたが、アメリカには残っている。
 レンジャーズのユニホームを着たダルビッシュ有がマウンドに立ち、モーションを起こす。一瞬の静寂から、投打の火花散る瞬間へ。緩から急、心地よいリズムを刻み、試合は進む。
 そうした映像が今季、日本にさらに流入し、彼我の野球の味わい方の違いが鮮明になるだろう。
 メジャーの衛星中継では日本でカットされそうな部分が映る。たとえばスリーアウト・チェンジとなったときの打者走者の表情である。
 一塁を駆け抜けた打者を10メートル、15メートルとカメラは追っていき、天をあおぎ、肩を落とす様子を捉える。
 日本では「ハイ、CM」となりがちだが、そこにしみ出る人間の味こそ賞味すべき部分だ。
 ダルビッシュがメジャー行きの動機として「ライバル不在」を挙げたようだ。それも寂しいことだが、本当に寂しいのは野球を見る技術が廃れた、という事実が明かされることかもしれない。